SMBCモビットの歴史
『SMBCモビット』は申込から融資までネットで完結可能です。
その歴史は浅く大手の消費者金融会社の中では最後発のカード会社です。
『SMBCモビットってどんなカード会社なのかが知りたい』
『SMBCモビットの誕生から現在までの歴史を教えて欲しい』
この記事はそんな方へ向けて書いています。
『SMBCモビット』はどんな経緯で誕生し、なぜ短期間で大手の一角まで成長することができたのか!?
消費者金融会社で働いているタナカならではの視点で振り返っていきます。
それではまいります。
SMBCモビット設立の経緯
『SMBCモビット』の誕生は1996年に始まった金融制度改革、いわゆる金融ビッグバンが行われた直後の2000年になります。
もともとは『三和銀行』と『プロミス』と『アプラス』の合弁会社として設立されました。
・『三和銀行』→『三菱UFJ銀行』(MUFG=三菱UFJフィナンシャルグループ)
・『プロミス』→『SMBCコンシューマーファイナンス』(SMBCグループ)
・『アプラス』→『アプラスフィナンシャル』(新生銀行グループ)
※20年が経過し社名は上記のように変更になっています。
当時の時代背景
1999年には『第一勧業銀行』と『富士銀行』と『日本興業銀行』が統合による新しい金融グループの結成を発表しました。
現在の『みずほ銀行』です。
当時は金融業界全体の規制緩和や改革が進行していた時期です。
護送船団方式といわれる規制に守られていた銀行は、
金融ビッグバンによって改革という名前の荒波に乗り出す必要がありました。
そうした背景もあり、大手の都市銀行は個人向けのカードローン事業への進出を図ろうとしました。
個人向けのカードローン事業は企業向けの銀行融資よりも高い利息で貸し出しができるため、利益率の高い非常に美味しい商品と考えられていたためです。
一方で2000年前後の消費者金融会社は業界バブルの真っ只中にあり、
毎年のように最高益の更新が相次いでいました。
『サラ金風情の成り上がりが暴利を貪っている!けしからん!!』
『消費者金融会社ではなく、銀行が個人向けのカードローンを手がけるべきだ!』
と言った風潮も世間にはありました。
さらに銀行というのは本来は公共性が高いもの、もっと高尚なものであるべきという意見も根強くありました。
消費者金融会社側の思惑
消費者金融会社サイドの考えはどうだったのでしょうか?
消費者金融会社は最高益の更新が相次ぎ直近の業績は絶好調であったものの、
少子高齢化がいわれ長い目でみると市場の縮小は避けられない状態でした。
特に消費者金融会社がメインターゲットとしていた、
20代、30代の年収200万円~350万円の層が減り始めていました。
銀行のブランド力を背景にした新しい市場の開拓の必要性を消費者金融会社は感じていました。
一方で、銀行と消費者金融会社では、社会的な信用力やブランド力において天と地ほどの差があります。
提携すると銀行に飲み込まれてしまうのではないか!?と言った心配がありました。
・銀行と提携し、今までとは違う客層を取り込むことで市場を拡大させたい気持ち
・銀行と提携するとノウハウだけ取られたり、買収されたりすることを警戒する気持ち
さまざまな思惑が絡み合いながら、戦略を練っていました。
・『プロミス』25.55%
・『武富士』27.375%
・『アコム』27.375%
・『アイフル』29.2%
※すべて上限金利です。
これを利息制限法(当時)の18%まで上限金利を引き下げたカードローンを提供する。
収入は少なくなりますが、銀行の信用力とブランド力によって、
上限金利を引き下げてもやっていけるのではないかという思いがありました。
銀行側の思惑
銀行側の本音としては、個人向けのカードローン事業なんかは、
本来は銀行がやるべき仕事ではないと思っていました。
しかし大企業を中心とした貸し出しだけでは、
十分な利益をあげられなくなってきます。
多くの銀行が背に腹は代えられないと個人向けのカードローン事業に進出しようとします。
ただ、銀行には個人への小口の貸し出しに対するノウハウが全くありません。
そこで銀行と消費者金融会社が手を組み、新しい消費者金融会社を立ち上げることになりました。
『SMBCモビット』は大手都市銀行と消費者金融会社が手を組んで始めたカード会社です。
もっとわかりやすく確認したい方はこちらも記事もどうぞ。
会社設立直後
『SMBCモビット』は『三和銀行』と『プロミス』と『アプラス』の合弁会社として発足しました。
『三和銀行』は銀行のブランド力と信用力を提供し、実務は全て『プロミス』がおこなう内容でした。
『三和銀行』と『プロミス』だけではいかにもという感じだったので、信販会社の『アプラス』も加わりました。
実際には『アプラス』は名前だけ貸したという印象です。
2000年の5月に『SMBCモビット』(当時は『合弁会社モビット』)が設立されます。
2000年1月には『アットローン』、2001年8月には『キャッシュワン』と、
相次いで銀行系のカードローン会社が設立されました。
現在も残っているカードローンは『SMBCモビット』だけです。
いろいろな要因はありますが、結果的に『SMBCモビット』だけが成功したことになります。
資本関係が複雑に・・・
まず『アプラス』が資本撤退します。
※『アプラス』はもともと三和銀行の系列でしたが、2004年9月に新生銀行の子会社となりました。
『三和銀行』は2002年に『東海銀行』と合併し『UFJ銀行』になりました。
さらに2006年には『東京三菱銀行』と合併し、『三菱東京UFJ銀行』となります。
一方『プロミス』は2004年7月に三井住友銀行の持分法適用関連会社になります。
※現在の『プロミス』はSMBCグループの完全子会社です。
当時の『SMBCモビット』は三井住友銀行グループと三菱東京UFJ銀行グループが、
それぞれ株を持ち合ういびつな資本構造になっていたことになります。
三井住友銀行グループからしてみると、実務は全てプロミスが行ってきた自負があります。
三菱東京UFJ銀行グループからしても、自分たちの銀行の看板を使ってやってきた想いがあります。
※実際テレビコマーシャルでは『三菱東京UFJ銀行系』と宣伝していました。
『SMBCモビット』は設立当初から資金を惜しまず、
竹中直人さんのテレビコマーシャルを大量投入したこともあり順調に業績を伸ばしていました。
三井住友銀行グループからしても三菱東京UFJ銀行グループからしても、
『SMBCモビット』は手放したくない優良カード会社だったのです。
トップ同士の話し合いで手打ちに
2012年に合弁解消のニュースリリースが出されます。
モビットの社名とカードローン事業は三井住友銀行グループが引き継ぎ、
地方銀行向けの保証事業は三菱東京UFJ銀行グループが継承するという内容でした。
2012年3月末における『SMBCモビット』のカードローン残高は1683億円です。
一方で地方銀行向けの保証残高は684億円でした。
消費者金融会社の現場にいるタナカだからわかるのですが、これってものスゴイです。
2000年に営業を開始して、わずか12年でこれだけの貸出残高を積み上げたのは、
スゴイと言わざるを得ません。
・2004年:『プロミス』→『三井住友銀行グループ』
以降、三井住友銀行グループと三菱東京UFJ銀行グループの間では、
『SMBCモビット』をどうするのかの綱引きが行われていました。
水面下ではかなり激しいやり取りがあったようです。
いつまでたっても平行線のままだったため、最後はお互いのトップ同士の話し合いで決着がつきました。
三菱東京UFJ銀行グループが継承した保証事業は、新しく設立された『エム・ユー信用保証(株)』に引き継がれました。
※現在は三菱東京UFJ銀行グループのアコムの子会社となっています。
設立当初の資本関係
・『三和銀行』
・『プロミス』
・『アプラス』
↓
2012年の資本関係
・『三菱東京UFJ銀行』
↓
現在の資本関係
SMBCモビットの現在
現在の『SMBCモビット』はSMBCグループの、
『SMBCコンシューマーファイナンス』の100%子会社として営業しています。
口座数は42万口座、貸付残高は2500億円を超えています。
特筆すべきは口座数、貸付残高ともにその伸び率です。
グラフを見て貰えると分かりますが、まさに右肩上がりとなっています。
利用者の利便性を追求してきた結果といえます。
最初に記載した通り、『SMBCモビット』の設立は2000年です。
わずか19年弱の期間でここまでの実績を残しているのは本当にスゴイ事です。
大手消費者金融会社の中では最後発の『SMBCモビット』はネット申込に力を入れてきました。
審査が早くて、利用者の悩みをよく聞いてくれる会社だから、多くのひとからの支持を集めています。
カード会社への申込を考えているひとには『SMBCモビット』がおすすめです。